アメリカ大陸横断          那須 徳造

      充実した日々をすごした都立世田谷工業の付属中学と高校では、数多くの友人に恵まれました。  

      ある時その中の一人が、一冊の本を貸してくれました。高校に上った頃だと思います。 ミッキー安川著「ふうらい坊

      留学記」。   著者が高校卒業後にアメリカに留学した時の体験談です。 当時、外国を見聞きして書いた旅行記、

      体験記がたくさん出版されていました。  もっとも有名だったのが、小田実著「なんでもみてやろう」でした。 こちら

      は大枚はたいて購入したのですが、私にはなぜか「ふうらい坊留学記」が強烈な印象として残りました。   アメリカ

      と言う国でのハチャメチャな体験記。  テレビでみる豊かな国のホームドラマや映画のシーンと重なって想像が

      膨らみ、憧れが堆積していきました。  「アメリカに行きたい。」「自分の目であの大きな国を見てみたい。」私の体に

      アメリカに対する憧れを沁み込ませた一冊でした。   就職してしばらく経ったとき、世田谷工業の仲間と会う機会が

      ありました。  その時に田中静雄君と「テレビドラマ・ルート66みたいにアメリカ横断をしよう」と意気投合しました。

      それから二十五年後、初めてアメリカの土を踏みました。  アメリカ見たさに英語を勉強し、就職して海外営業を担当

      したのですが、なぜかアジア、欧州の仕事ばかりでアメリカとは縁が遠く、一度もアメリカ出張の機会がありませんでし

      た。 ところがとうとう掴んだ最初のチャンスが駐在員としてのアメリカ赴任の時だったのです。「アメリカに行きたい。

      アメリカを見たい。」何度思ったことでしょう。「夢は持ち続けたらいつかは叶う。」を地で行った気持ちがしました。

      ロサンゼルス空港国際線ターミナルでの通関を終えてスロープを上がり、ロビーから出て迎えの車に乗って走り始め

      たとき、広い道路の幅一杯に掛った英語の標識を見たときに、「アメリカに来た!」を実感して足が震えました。

      ミッキー安川から二十五年が過ぎていました。

      それから駐在員生活は12年に及びました。「四年間行ってもらう」がスタートで、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロス郊

      外のオレンジカウンティー、ニュージャージーと勤務地も四回変わり、種々の事情で、赴任当初のホテル住まいも含め

      ると都合八回の引越しを経験しました。 赴任から三ヵ月後にニュージャージーに呼び寄せた妻と生後半年の息子も、

      なんとかアメリカ生活に慣れてくれ、その後カリフォルニアでは娘を授かり、会社生活の三分の一は日本、アメリカ、カ

      ナダ、メキシコなどへの出張でしたが、私自身はアメリカ生活が辛いとか嫌だと思ったことは一度もありませんでした。

      しかし、現地の小学校に通っていた息子と娘が、我が家で互いに英語で会話をしているのを見たとき、言えも言われ

      ぬ気持ちになりました。  彼らにとってこのままでいいのか、それとも帰るべきか。取り敢えずグリーンカード申請の

      手配を始めました。

      しかし心配には及びませんでした。  帰任命令が出て東京勤務となったのです。否応なし。しかも自宅のある東京。

      担当は中国市場となり仕事の内容は一変しましたが、東京での生活、新しい仕事に何の不満もありませんでした。

      その後、早期定年退職の適用を受け、仕事の一線から退き、そして新しい今の仕事に就きましたが、アメリカ生活で

      の強烈な印象は、日本の生活に慣れるにつれて日々薄れていく子供たちとは反対に、私の心には強く、硬く、鮮烈に

      残っている事を感じていました。   何か忘れたものがある。何かし残した事が有る。ワシントン、シカゴ、アトランタ、

      サンフランシスコなどほとんどの主要都市を訪れ、ヨセミテ、イエローストーン、ナイヤガラ、ディズニーワールドなど

      ほとんどの有名観光地を訪れました。  野球、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー、ブロードウェー・ミュ

      ージカル、五嶋みどりのコンサート、ブルーノートのジャズ、メトロポリタンミュージアム。有名コースでのゴルフやロサ

      ンゼルスの地震を含めてたいていの事は経験したつもりでした。  でも何か忘れた気がしてなりません。それに気が

      ついたのは、田中静雄君との会話がきっかけでした。

      二十代のときに夢見た「アメリカ大陸横断」。私はアメリカを点から点に旅行をし、大陸の大きさを実感していなかった

      のです。ロサンゼルス―サンフランシスコ間、ニューヨーク―モントリオール間、どちらも八時間ほどのドライブですが、

      これが陸路を辿った最長の旅行でした。腰の痛くなるほど運転しましたが、アメリカの大きさはこんなものではないは

      ず。実際の大きさを感じるには、飛行機で飛んだのでは駄目だ。 自分で陸を行くしかない。 このことに気がついた

      のです。 幸い中学・高校で机を並べた田中静雄君と言う、よきパートナーに恵まれました。彼が若い頃の夢をずっと

      抱き続けていたのを知って、胸が熱くなりました。サラリーマンの私よりずっと厳しい個人事業主の人生を歩んできた、

      経験豊富で包容力の大きなクラスメート。 知ったかぶりで生意気な私には願っても無い同行者です。子供の頃から

      の夢の実現。 アメリカへの憧れを実体験するために、大陸横断を試みる。陸路を行き、足で踏みしめて大きさを肌で

      感じる。同じゴールを目指す友がいて、一緒に旅をしてくれる。  都立世田谷工業の友達が貸してくれた一冊の本を

      切掛けに、世田谷工業の友達が一緒に夢をかなえてくれました。 感謝。

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